メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパン

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夢を力に

「本場アメリカの野球を観戦したい」2004年実現

林 祐樹さんは2004年7月に夢を642番目に夢をかなえたウィッシュチャイルドです。「自分の経験を生かして、一人でも多くの患者さんの手助けをしたい」と、現在は診療放射線技師としてたくさんの患者さんたちを支えています。

夢を力に
夢を力に

14歳の秋に骨肉腫という骨のがんということがわかりました。闘病は壮絶で抗がん剤による副作用がとてもきつく出たので一日中吐いていたことを覚えています。抗がん剤の副作用による免疫低下の際に隔離されるのですが、お見舞いに来てくれた人にも会えない時もありすごく辛かったです。

一年の闘病を終えて最初の検診で転移がわかりました。再発や転移を防ぐために一年間治療してきたのに、たったの三ヶ月で転移してしまい言葉にできないほどショックを受けたのを覚えています。また、同じ病気で治療していた人たちが亡くなることもあり、悲しみと共に死に対する恐怖も感じました。

僕は治療の影響で肩に障害があり、腕が挙がりません。バイトなども印刷工場など、人と関わりの少ないことを選んでいました。進路に関しても自分の病気の発見したレントゲンや CT、MRI などに興味を持っていましたが、身体に不自由がある僕には就けない職業と考えていて、とりあえず大学…ぐらいに思っていました。そんなときに夢が実現しました。ボランティアさんが「祐樹くんが自分で夢を伝えてくれたから、実現したんだよ」と言ってくれました。かなうはずもないと思っていた夢が実現してからは、「何でもやってみないとわからんな」と思えるようになりました。そして、自分で最初からできないと決めつけてはダメだなと考えるようになりました。病気になってよかったとは思いませんが、周りの人の支えがこんなに勇気を与えてくれるものなんだと気づくことができ、また何事もポジティブに考えることができるようになりました。今でも不便なことはたくさんありますが、「できない」ではなくて「やってみよう」と考えられるようになりました。 この心境の変化は夢が実現したことがきっかけだと思います。

僕にとってメイク・ア・ウィッシュは、「人生を変えた」と言うと大げさに聞こえるかもしれませんが、これからの進路の時に夢の実現があって今の自分があるので、人生を変えたと思います。メイク・ア・ウィッシュの活動は、「夢をかなえてくれる」と認識されがちですが、僕は「次の夢を与えてくれる」と感じています。夢がかなったから終わりではなくて、次の目標や夢を持つことの大切さを気付かせてくれたことがとても大事なことだと感じています。

病気にかかっている子どもだけでなく、健康な人も、夢や目標を持っている人は輝いて見えるように、夢は生きる力になると思います。夢をかなえるためにはどうしたらいいか自分で考えたり、そうやって自分が夢に向かって進むことで周りの人たちも関わってくれたり、そう考えると夢には本当に人を動かす凄いパワーあるんだなと感じます。そのためには、自分がまず行動しないといけないと思います。

今、僕はメイクアウィッシュオブジャパンにボランティアの立場で関わっています。どんな夢であっても本当にたくさんの人たちの関わり、繋がりがあるんだなと感じ、改めて感謝しています。夢は実現して終わりではなくて次の新しい夢への始まりだと思います。夢がかなった子どもたちにはぜひ次の夢・目標を持って生きてほしいと思います。

「憧れのアーティストに会いたい」1993年実現

早苗さんは、1993年に夢をかなえた3番目のウィッシュチャイルドです。夢を力に、輝き続ける早苗さんからのメッセージです。(20周年パーティスピーチより)

夢を力に
夢を力に

わたくしは、中学3年生の時にウィッシュチャイルドとしてメイク・ア・ウィッシュにお世話になりました。中学入学後、間もなく重症再生不良性貧血という病気を患いました。

その頃は、骨髄移植以外の治療法がなく骨髄ドナーの見つからなかった私は、輸血を繰り返すとともに研究的な治療を次々に受けていました。治療の効果が全く見られず、研究治療を繰り返す中でも、病状は悪化し入院して2年以上経つ頃には命をつないでいた輸血の効果も徐々に薄れてきました。

その頃には、血小板も低下し、毎朝口中の血液の塊をゆすぎ一日を迎えていました。幼いころから先天性心疾患で親や家族に迷惑をかけていた私は、毎晩翌朝が迎えられるか不安になるとともに、親に申し訳ない思いに泣き続けていました。

そんな時、メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパンの創立者であるスーザン・アルブライトさんが私の病室に訪れました。

彼女は病室にくるなり「あなたの夢をかなええましょう!」「夢はなんですか?」とおっしゃいました。彼女の言葉を受けて自分の夢を考えましたが、希望を持つたびに叶わず苦しんできたその頃の私は、希望を持つことを恐れ、希望も夢もありませんでした。それよりも、私ではなく夢を叶えてあげてほしい人は他にいるのではないかという思いもあり、彼女の申し出を断りました。

しかし、パワフルな彼女は「大丈夫。次は他の子の夢をかなえるので、まずはあなたの夢をかなえたいの!」と目を輝かせながらおっしゃいました。そのパワーと彼女の暖かい雰囲気に私は改めて夢を考え始めました。そして、毎日CDを聞いて勇気づけられていたアーティストのコンサートに行ってみないな、と思い彼女に伝えました。

彼女は明日にでもかなえる勢いで受けて帰りました。しかし、正直なところ、抵抗力も低く病室から出ることも困難な私がコンサートに行くのは不可能だろうなと思っていました。しかし、彼女は病室に来るたびに「10月の北海道のコンサートに行くわよ!」「コンサートのチケットがとれたわよ!」と現実に私の夢が進行していっていることを伝えてくれました。

全くというほど信じていなかった私は、徐々に「行けたらなという希望から、行きたい!という希望へ変わっていきました。その時私は厚い雲に覆われた暗い世界から、一筋の光が入ってきたことを今でも覚えています。

治療法のなかった私は、自分の骨髄を思い浮かべ骨髄液が増えていくイメージを毎晩毎晩繰り返し、コンサートを楽しみに過ごすようになりました。それが功をそうしたのか、毎日続けていた輸血の間隔が徐々に増えてきてコンサートに行く日には2週間ほどの間隔にまで伸びていました。血液の数値が良くなってきたため、同行する予定だったドクターもつかずに北海道まで行きました。

後日、私の命は一か月もつかどうかという状態であったためにコンサートツアーの幕開けである北海道へ旅立ったことを知りました。

北海道での3日間は本当に夢の世界にいるようにあっという間の日々でした。理事長である八木さんをふくめスタッフの皆様にも温かく迎えていただいて、コンサートも夢のようで、夢の続きのように直接そのアーティストにも会うことができ、本当に幸せな瞬間でした。

北海道から帰った私は、次の希望を持ち前向きに入院生活を送るようになりました。その後奇跡が起こりました。担当医から「骨髄液の数値が上昇してきた」という報告を受け、なんと北海道に行った2か月後には退院することができたのです。

死と直面していた生活から一転、病気が治ったと聞いたときに私は「自分はこの体験を活かしていくために命をもらったのだ」と思い、次の夢「養護学校の先生になろう!」と心に決めました。

夢かない、現在千葉県で特別支援学校の教師をしています。そして、人生を共に歩む主人に出合い、自分でも奇跡と思えるほど元気な子どもを出産することができました。

メイク・ア・ウィッシュに出合えたからこそ、今の私があります。私にとってメイク・ア・ウィッシュは夢をかなえるというだけではなく、「前に向かう気持ちの大切さ」、「信じることが力になるという想い」を伝えてくれる希望の光であると思っています。

今後も、希望の光として闘病生活を送る多くの子どもたちを照らしていってほしいと願っています。

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